言葉のゆらぎと法則

形態音韻論における音韻交替現象の分析:規則ベースアプローチと制約ベースアプローチの比較考察

Tags: 形態音韻論, 音韻交替, 規則ベースアプローチ, 制約ベースアプローチ, 最適性理論

はじめに

言語の形態音韻論的レベルにおける音韻交替は、基底形から表層形への写像を通じて、音韻構造の維持と変化の両側面を示す興味深い現象です。例えば、日本語における連濁や、英語における複数形語尾 (/s/, /z/, /ɪz/) の選択などがこれにあたります。これらの交替現象を捉えるための理論的枠組みは、生成音韻論の黎明期以来、様々な変遷を遂げてきました。本稿では、特に形態音韻論における主要な理論的アプローチである「規則ベースアプローチ」と「制約ベースアプローチ」に焦点を当て、両者の基本的考え方、分析における強みと課題、そして音韻構造の維持および変化のメカニズムに関する示唆について比較考察を行います。

規則ベースアプローチによる音韻交替の分析

規則ベースアプローチは、生成音韻論の標準理論や派生音韻論において中心的な役割を果たしてきた枠組みです。このアプローチでは、形態統語論的な情報が付加された基底形から出発し、一連の音韻規則が順序立てて適用されることによって表層形が導出されると考えます。

音韻規則は、ある音環境において特定の音が別の音に変化する、あるいは挿入・削除されるといった操作を記述します。規則は通常、形式的な記述(例: A → B / C __ D)で表現され、その適用順序(ordering)が重要な役割を果たします。例えば、日本語の連濁は、特定の形態論的・音韻的条件を満たす場合に語彙素の語頭の子音が濁音化する現象として、規則の形で記述されることがあります(例: 無声阻害音 → 有声阻害音 / [連濁トリガー環境] __)。英語の複数形語尾の選択は、先行する子音のヴォイシングや性質に基づき、複数の規則や条件分岐によって記述されるでしょう。

規則ベースアプローチの強みは、音韻変化の過程を段階的な操作として捉えやすい点、また特定の環境依存的な変化を明確に記述できる点にあります。規則の順序性が、一見不透明な音韻現象の派生過程を説明する上で有効な場合もあります。

しかし、規則ベースアプローチにはいくつかの課題が指摘されています。第一に、規則の順序性が恣意的になりやすく、経験的根拠に乏しい順序が仮定されることがあります(Extrinsic Ordering Problem)。第二に、ある環境では規則が適用されるが、別の環境では適用されないといった例外や不規則性を説明するために、複雑な規則記述や条件が必要となる場合があります。第三に、学習者がどのようにこれらの規則や順序を獲得するのかという学習可能性(learnability)の観点からの課題も指摘されています。

制約ベースアプローチによる音韻交替の分析

制約ベースアプローチは、特に最適性理論(Optimality Theory; OT)の登場以降、形態音韻論の分析において広く用いられるようになりました。このアプローチでは、基底形から表層形への写像は、音韻規則の逐次的な適用ではなく、普遍的な制約の階層的評価によって決定されると考えます。

OTの基本的な枠組みは、入力(基底形)に対して可能な限りの表層形候補を生成する関数 Gen (Generator) と、これらの候補を表層形の基準に基づいて評価・順位付けする関数 Eval (Evaluator) から構成されます。Evalは、普遍的な制約の言語固有の順位付け(ranking)に基づいて候補を評価し、最も「最適」な候補をその入力に対する正規の表層形として出力します。

制約は大きく分けて二種類あります。一つは音韻構造の好ましさに関する制約(Markedness constraints)で、複雑であったり、特定の音響的特徴を欠いたりする構造にペナルティを与えます(例: *voiceless obstruent at the end of a word)。もう一つは、入力(基底形)と出力(表層形)の忠実度に関する制約(Faithfulness constraints)で、基底形の特徴を表層形に維持することを求めます(例: IDENT(voice) - 音声素性のヴォイシングを維持せよ)。音韻交替は、Faithfulness制約よりもMarkedness制約が上位にランク付けされている場合に生じると説明されます。例えば、語末での無声化は、語末の無声阻害音を禁止するMarkedness制約が、基底形のヴォイシングを維持せよというFaithfulness制約よりも上位にある場合に発生します。

制約ベースアプローチの強みは、規則の順序性を仮定する必要がない(Parallelism)点、様々な音韻現象における「最適性」や「好ましさ」を一般的な制約として捉えられる点、そして制約の順位付けの学習という観点から学習可能性の説明に繋がりやすい点です。また、異なる言語における同一の現象のバリエーションを、普遍的な制約セットの異なる順位付けとして説明できる点も強力です。

一方で、制約ベースアプローチにも課題は存在します。Genが生成する候補の範囲や構造に関する議論、制約間の順位付けが複雑な場合に生じる問題、歴史的な音韻変化の過程を逐次的な変化として捉えにくい点などが指摘されています。また、規則ベースアプローチが得意とする特定の派生過程や中間段階の説明が難しい場合もあります。

音韻構造の維持と変化への示唆

形態音韻論における音韻交替現象の分析を通じて、我々は音韻構造の維持と変化に関する重要な示唆を得ることができます。

規則ベースアプローチは、特定の時点における言語の音韻システムを、明確な入力と出力、そしてその間の変換を記述する規則セットとして捉えます。規則の適用順序や条件は、その言語が歴史的に辿ってきた音韻変化の痕跡を反映していると解釈されることもあります。変化は、既存の規則が修正されたり、新しい規則が追加されたり、規則の適用順序が変化したりすることによって生じると考えられます。構造の維持は、これらの規則セットが比較的安定している期間において見られます。

制約ベースアプローチ、特にOTでは、音韻構造の「維持」はFaithfulness制約の順位の高さとして、また「変化」はMarkedness制約の順位の高さ(Faithfulness制約を凌駕する場合)として捉えられます。音韻変化は、制約の順位付けが変化することによって生じると考えられます。例えば、あるMarkedness制約の順位がFaithfulness制約よりも高くなることで、特定の音環境でそれまで許容されていた構造が回避され、音韻交替が生じるようになる、といった説明が可能です。このアプローチは、言語の音韻構造が常に普遍的な制約の圧力に晒されており、その制約間の力関係(順位付け)が構造の安定性(維持)や変動(変化)を決定するという視点を提供します。学習者は、自言語の入力データに基づいて制約の順位付けを学習すると考えることで、構造の獲得メカニズムにも繋がります。

近年の研究では、これら二つのアプローチを統合しようとする試みや、確率論的な枠組みを取り入れて音韻現象の変動性(variation)を説明しようとする動きも見られます(例: Stochastic OT)。また、音韻規則や制約の認知的な実在性に関する神経言語学的なアプローチも進んでいます。

結論

形態音韻論における音韻交替現象は、規則ベースアプローチと制約ベースアプローチという異なる理論的視点から分析されてきました。規則ベースアプローチは順序性のある派生過程の記述に強みを持つ一方、順序性の動機付けや学習可能性に課題があります。制約ベースアプローチは普遍的な制約と順位付けによる並行的な評価に強みを持つ一方、歴史的変化の逐次的過程や特定の派生過程の説明に課題が残ります。

これらのアプローチはそれぞれ、音韻構造の維持と変化のメカニズムに対して異なる角度からの洞察を提供しています。規則ベースアプローチはシステムの具体的な変換操作に焦点を当て、制約ベースアプローチは構造の好ましさと忠実度の普遍的な圧力に焦点を当てると言えるでしょう。

形態音韻論の研究は、これら古典的なアプローチの知見を基盤としつつ、より認知的に妥当で、変動性や変化のダイナミクスを捉えられる新たな枠組みを模索しています。今後の研究では、大規模言語データ、認知実験、神経科学的手法などを組み合わせることで、音韻構造の維持と変化を司るメカニズムの解明がさらに進むことが期待されます。