異音共起制約と音韻変化の相互作用:類型論的普遍性と個別言語の動態
序論:異音共起制約と言語変化研究におけるその位置づけ
言語の音韻体系は、その構造的安定性を維持しつつも、歴史を通じて絶えず変化を遂げています。この「ゆらぎと法則」のダイナミクスを理解する上で、特定の音素や異音の連続(共起)に関する制約、すなわち異音共起制約(phonotactic constraints)は極めて重要な役割を果たします。これらの制約は、言語内の許容される音素配列を規定し、潜在的な音韻変化の方向性を制限、あるいは逆に変化を促進する要因となり得ます。本稿では、異音共起制約が音韻変化とどのように相互作用するのかを、類型論的普遍性の観点と個別言語における具体的な動態の両面から考察します。
異音共起制約は、例えば、特定の音節位置における子音クラスターの複雑さの制限や、母音の連続に関する制約、あるいは特定の音素間の隣接関係の禁止など、多岐にわたります。これらの制約は言語使用者によって無意識のうちに遵守され、音韻構造の安定性に寄与している一方で、時にはそれ自体が変化のターゲットとなり、新たな音韻体系へと移行する契機となることもあります。本稿の目的は、この複雑な相互作用を、近年の音韻論研究の知見に基づき、多角的に分析することにあります。
異音共起制約の理論的枠組み
異音共起制約の研究は、20世紀初頭の構造主義言語学において体系的に着手されました。特に、プラハ学派のTrubetzkoy (1939) は、音韻体系における弁別的特徴とその組み合わせの法則性を重視し、各言語に固有の音素配列規則の存在を明らかにしました。その後、生成音韻論の登場により、Chomsky & Halle (1968) の『The Sound Pattern of English』(SPE) に代表される規則ベースのアプローチが主流となり、音韻規則によって異音共起制約が導出されると捉えられました。
しかし、1990年代以降の最適性理論 (Optimality Theory: OT) (Prince & Smolensky, 1993/2004) は、音韻現象を規則ではなく、普遍的な制約の階層的な順序付けによって説明するパラダイムを提示しました。OTにおける異音共起制約は、主に"markedness constraints"として表現され、特定の構造や配列の回避を求めるものとして定式化されます(例:COMPLEX [子音クラスターの回避], VFORM [母音の非正規な配列の回避] など)。これらの制約は普遍的であるものの、言語ごとにその順位が異なることで、多様な異音共起パターンが生じると考えられています。この制約ベースのアプローチは、音韻変化のメカニズムを、制約順位の再編成として捉える新たな視点を提供しました。
音韻変化と異音共起制約の相互作用の類型
異音共起制約と音韻変化の相互作用は、一方向的なものではなく、多岐にわたる動態を示します。主要な類型を以下に示します。
1. 制約が音韻変化を誘導するケース
既存の異音共起制約が、特定の音韻変化を引き起こす主要な要因となることがあります。これは、言語体系が特定の「望ましくない」配列を解消しようとする傾向として現れます。例えば、多くの言語で見られる子音クラスターの簡略化は、普遍的な*COMPLEX制約や子音の強度の階層に関する制約(例:Sonority Sequencing Principle)が、非規範的なクラスターを解消する方向に音韻変化を誘導する典型例です。
- 事例:
- ラテン語からロマンス諸語への変化における子音クラスターの簡略化は、音節頭における/pl/, /kl/, /fl/ などのクラスターが、対応する単一の子音(例:イタリア語の /pj/, /kj/, /fj/ または /p/, /k/, */f/)へと変化する現象として観察されます (Lausberg, 1965)。これは、より複雑な音節構造を回避しようとする傾向が強く働いた結果と解釈できます。
- 日本語における外来語の借用における挿入母音の付加も、日本語の厳格なCVCV音節構造制約(*COMPLEX制りが高位にあること)によって誘導される変化の一例です(例: strike → ストライク /sutoraiku/)。
2. 音韻変化が新たな制約を生み出すケース
音韻変化の結果として、それまで存在しなかった新たな異音共起制約が確立されることもあります。これは、音韻変化が言語体系に新たな構造的特徴をもたらし、その構造が後に共時的な制約として定着するプロセスです。
- 事例:
- ある種の音素の合流や分離が、特定の音環境でのみ生じ、その結果として新たな音素配列が許容されなくなる、あるいは義務付けられることがあります。例えば、特定の摩擦音と母音の組み合わせが歴史的に変化し、その結果として特定の母音の前の特定の摩擦音が禁止される、といった制制約が形成されるケースが考えられます。
- 声調言語における声調の発生(tonogenesis)は、かつて弁別的ではなかった音声的特徴(例:子音の有声/無声)が、声調と結合して新たな共起制約を形成することがあります (Hyman, 2001)。
3. 類型論的普遍性と個別言語の動態
異音共起制約には、全言語に共通して見られる類型論的普遍性が存在すると考えられています。例えば、音節頭では子音の響度が増加する傾向にあるというSonority Sequencing Principle (SSP) は、多くの言語に観察される普遍的な制約です (Selkirk, 1984)。このような普遍的な制約は、音韻変化の方向性を大局的に規定します。
しかし同時に、個別の言語はそれぞれに固有の異音共起制約を発達させます。これは、言語接触、言語獲得、あるいは特定の調音・知覚的要因が複雑に絡み合った結果です。普遍的な制約と個別言語の特殊な制約の間には、常に動的な葛藤が存在し、これが音韻変化の多様性を生み出していると言えます。OTの枠組みでは、普遍的な制約の順位付けが言語によって異なることで、この普遍性と個別性のバランスが説明されます。
事例分析:子音クラスター簡略化における制約の動態
具体的な事例として、子音クラスターの簡略化に焦点を当てます。子音クラスターの簡略化は、世界中の多くの言語で観察される普遍的な音韻変化であり、様々な要因によって駆動されます。異音共起制約の観点からは、特に音節構造制約(例:*COMPLEX)が強く作用していると考えられます。
例えば、古英語から現代英語への変化において、音節末の子音クラスターにおける子音の脱落が多数観察されます(例:古英語 cnawe
/knɑːw/ > 現代英語 know
/noʊ/)。この変化は、音節末の子音クラスターを簡略化し、より開いた音節構造を好む傾向、すなわち特定の異音共起制約(例:音節末における特定の子音連続の回避)が強く働いた結果と解釈できます。
一方で、フィンランド語のように、比較的複雑な子音クラスターを許容する言語も存在します。これは、フィンランド語において*COMPLEX制約の順位が他の言語に比べて低く設定されている、あるいは他の制約(例:語根忠実性)がより高位に位置しているためと考えられます。しかし、フィンランド語においても、例えば非語頭位置での子音クラスターの簡略化や同化が観察されるなど、言語内での制約の適用範囲や強弱は一様ではありません。
このように、子音クラスターの簡略化という一見普遍的な音韻変化も、その具体的な現れ方や歴史的経緯は、個々の言語における異音共起制約の階層構造や、他の音韻制約との相互作用によって決定されることが示唆されます。
未解決の課題と今後の展望
異音共起制約と音韻変化の相互作用に関する研究は、依然として多くの未解決の課題を抱えています。
- 普遍的制約の起源と習得メカニズム: なぜ特定の異音共起制約が多くの言語で普遍的に観察されるのか、その認知言語学的・音声学的基盤は何か。また、言語習得の過程でこれらの制約がどのように獲得され、内面化されるのかについては、更なる神経科学的・心理言語学的アプローチからの研究が不可欠です。
- 確率的音韻論的視点からの動態分析: 近年注目されている確率的音韻論 (e.g., Boersma & Hayes, 2001) は、音韻現象を絶対的な規則や制約ではなく、確率的な傾向として捉えます。異音共起制約の遵守度や違反度が、特定の音韻変化の文脈でどのように変動し、確率的にモデル化できるのかを検証することは、変化の予測可能性を高める上で重要です。
- 多層的インターフェースにおける制約の作用: 異音共起制約は、単に音韻層内部だけでなく、形態統語インターフェースや意味論的インターフェースとも複雑に相互作用します。例えば、形態素境界における子音クラスターの扱いは、音韻的制約と形態的制約の葛藤を示す典型例です。これらの多層的な相互作用を考慮した統合的なモデル構築が求められます。
- 共時的変異と言語変化の関係: 共時的に観察される異音共起の変異(例:話し手による発音のゆらぎ)が、どのようにして通時的な音韻変化へと収束していくのか、そのマイクロレベルのメカニズム解明も今後の重要な研究課題です。
結論
本稿では、異音共起制約が言語の音韻変化において果たす役割を、類型論的普遍性と個別言語の動態の観点から考察しました。異音共起制約は、言語の構造的安定性を支える一方で、音韻変化の方向性を誘導し、あるいはその結果として再構築される、極めて動的な存在であることが明らかになりました。
最適性理論のような制約ベースのアプローチは、普遍的な制約の階層付けによって言語間の多様性を説明し、音韻変化を制約順位の再編成として捉える強力なフレームワークを提供します。しかし、異音共起制約の起源、習得、そして他の言語学的レベルとの複雑な相互作用については、依然として多くの深い洞察が求められています。今後の研究は、認知科学、確率的モデリング、そして多様な言語データとの統合を通じて、これらの未解決の課題に光を当てることで、言語の「ゆらぎと法則」の理解をさらに深化させることでしょう。
参考文献(例示)
- Boersma, P., & Hayes, B. (2001). Empirical tests of the Gradual Learning Algorithm. Linguistic Inquiry, 32(1), 45-86.
- Chomsky, N., & Halle, M. (1968). The Sound Pattern of English. Harper & Row.
- Hyman, L. M. (2001). Tone systems. In M. Haspelmath, E. König, W. Oesterreicher, & W. Raible (Eds.), Language Typology and Language Universals: An International Handbook (Vol. 2, pp. 1381-1390). Walter de Gruyter.
- Lausberg, H. (1965). Romanische Sprachwissenschaft: Band I. Einleitung und Vokalismus. Walter de Gruyter.
- Prince, A., & Smolensky, P. (2004). Optimality Theory: Constraint Interaction in Generative Grammar. Blackwell. (Original work published 1993).
- Selkirk, E. O. (1984). On the major class features and syllable theory. University of Massachusetts at Amherst.
- Trubetzkoy, N. S. (1939). Grundzüge der Phonologie. Vandenhoeck & Ruprecht.